我々は、今、精一杯頑張って生きても幸せを感じられない時代を経験しています。
アダム・スミスもマルクスもケインズも「衣・食・住が足りて不幸になる」とは思わなかったでしょう。「何故、様々な物を手に入れたのに幸せではないのか?」「何故、頑張って働いてきたのに家族とうまくいかないのか?」何故?何故?
かつて、孫が山の木を切ろうとしたら、お祖父さんが「木を切りすぎたら山の神様が罰を与えるので気をつけるように!」と注意をする時代がありました。近代になると、お祖父さん自身が、孫に向かって「海外の木が安かったのでたくさん買ってきた」と自慢し、孫も「お祖父さん、すごいね!」と応じる状況が生まれました。村の山の木は守られても、見たこともない海外の山が荒廃する事実には無関心になってしまう。つまり、本来人類は生存圏の中で生活圏と経済圏を調和させて生きてきていましたが、近代になって分業が暮らしの中に浸透し、生活圏を守る価値と経済圏を守る価値が分離していきました。
例えば、家庭の生活を守る専業主婦は、親族や地域との関係を維持し守ることを存在の価値に置き、一方、家庭の経済を守る専業サラリーマンは、組織や市場の変化と進化に適応することを存在の価値に置くため、相思相愛で結婚した二人も価値観が合わなくなっていくという現実。近代と伝統、都市と田舎、先進国と途上国等で価値観が合わず、価値が理解できないと不信が生まれ、不信の関係が続くと憎悪に変化していきます。
世界各地での紛争や9.11に端を発した「世界同時多発テロ事件」などは、人種問題や宗教問題として議論されますが、私は、近代化により、いわゆるグローバル経済を構築しようとする人々と伝統を守ろうとする人々の対立が根底にあるのではないかと思います。
我々に豊かさを与えてくれた近代とは何なのでしょう?一般的に資本主義、市民社会、国民国家の成立した時代を言います。そして、その基礎になったのは工業産業革命です。工業技術の発達は、市民社会の形成を促し、資本蓄積を加速化し、産業基盤整備のための国民国家の成立に寄与しました。このような相乗効果が増幅して、工業の発達は人類を益々物質的に豊かにしました。
生産現場では、文化的価値観が効率性を重んじる大量生産の邪魔になり、均質な価値が品質向上のために求められるようになって、世間様に恥かしくない態度で仕事をするというような文化的価値観は、淘汰されていきました。
いつのまにか、林業も農業も工業化が進み、大量生産の価値が浸透し、地域特有の風景がどこにでも見られる風景になり、都市で溢れた物質が地方でも溢れ、生活圏と経済圏の乖離が進みました。
このような行き過ぎた工業化の物質文明の中で育っていく「物を守るという価値観」と「物を豊かにするという価値観」が矛盾しない価値観では、利己主義を自由主義と言い換え自分に都合のいい解釈の主張になります。自分の国だけが豊かになればいい、自分の会社だけが豊かになればいい、自分の家族だけ豊かになればいい、というように利己的な個人が増加していきます。物豊かで心貧しい時代の到来です。そうして生まれる精神性の飢餓や貧困は、「孤独の不安」を増大させます。
日本は、先進国で自殺率が一番高い国になりました。先進国で二番目に相対貧困率の高い国になりました。即ち、格差がひろがりました。世界第二位の経済大国は、本当に豊かなのでしょうか?
また、持続可能社会を目指すといわれますが、多くの人はエネルギー・資源・食料という物質の持続性を議論しています。しかし、現在それらの物質が満ち足りている先進国の我々は幸せなのでしょうか?
人間は、地球で一番繁栄をしていると言われる生物ですが、生物的には未成長状態で生まれます。誰かに守られないと生きていくことができません。目が見え、耳が聞こえ始め、感覚が育ち始めると心が成長してきます。人間としての根源的な欲求である関係性欲求と受容性欲求が生まれます。理解できる誰かが欲しい、誰かに理解してもらいたいという基本的な心が自己を形成していくと言われています。孤独であるということが、一番不幸であるということを知っています。いくら大金持ちでも孤独な人は、幸せには見えません。いくら権力や権威を持っていても孤独な人は、幸せには見えません。いくら大家族であっても友の数が多くても理解し合うことがなければ幸せとは思えません。孤独にならない方法は、関係性を理解し、手に入れることしかありません。
本来の取引関係のように、世の中に役に立つもので総体的利益を上げるというエネルギーの源泉は、相手を理解するという価値観の利他主義になります。思いやり、博愛、繋がり、つまり関係性を重んじる心豊かな繋がりの積み重ねが、関係性を切りたくないという信頼関係を創ります。
我々の財団は、物質の頂点の貨幣を基本とした金融資本制度と調和を取るために、関係性の中で一番貴重な価値は「信頼」ではないかと考え、その信頼できる人間関係が、資本力を形成するという良質な人間関係資本制度を創りたいと思っています。
そのために我々は、「信頼」という、触ることのできない、感じるしか方法のない価値を意識しなくても目に見える形にすることが必要であると考えます。
人と自然、人と社会、人と人の調和する豊かな生存圏の復活を目指していきたいと思いますので、様々な形でご参加頂きたく、宜しくお願い申し上げます。
信頼資本財団 理事長
熊野英介



